Story#00

Story#00

盛らず、飾らず、届いて響く
言葉に綴る直球ライティング

リアルボイス&コアライター 

あそゆかさん


書いて魅力を伝える人

ご依頼者様と対談して、その時感じたことを、盛ることも、繕う事も何一つなく、感じたままにゆかさん目線で書いて魅力を伝える人 

マシュマロのような柔らかさ、少女のような眩しいくらいの笑顔。
太陽のように包み込んでくれる温かさを醸し出している方。

始球式のアイドルのようにポワンとした球で投げると思いきや、直球でくるライティング。
そこが彼女の魅力でもある。

彼女に会うと、人に言えなかったこと、弱い部分も曝け出してしまう。
心の奥底に隠していた扉が開いて、心がゆるむ感覚。
心が開放されてしまうから全てを話してしまう。

ゆかさんの文章は、がんばってきた今までの人生と成長した自分がそこにいて、これからの人生を切り開く自信が芽生えて涙が出るんだと思う。

歩いてきたストーリーには、自分をつくり上げた歴史がある。
世界に一つだけの自分のストーリー。
最高の贈り物。

ゆかさんは、心地よさを感じずに生きてきたからこその今。
自分を解放し、大きく羽ばたこうとしている。
「言葉で伝える人」として、ポジティブに前へ進むきっかけと先の幸せをこれからも届けてくれるでしょう。

与えられて

生きた優等生から、私へ

両親、父方の祖母、兄との5人家族の末っ子。
厳しいながらも多くの教養を与えてくれた祖母の影響を大きく受けて育ちました。

幼稚園入園ごろから書道を始め、いつも家では本を読み、小学校低学年の頃には文章力を褒められ、コンクールなどにも出展、入賞することも。
放送委員として原稿を書くことも好きで、とにかく、「読むこと、書くこと」が好きで、たくさんの言葉に触れる毎日を送っていた、そんな子ども時代。

一方で、習い事も多く、お友達と遊んだ記憶は少なく、私とっては「言葉が友達」のようなものでした。

すべてが手作りの家庭料理と、着物や編み物、和裁、洋裁、刺繍など、暮らしの文化伝統に多く触れられる環境の中で育ったことは、私にとってかけがえないギフト。

祖母は和裁が上手で、夏には手縫いで仕立ててもらった浴衣を着て夕涼みへ、お正月には仕立てた着物を着て、手作りのお節料理をいただきました。

お誕生日やハレの日には祖母が自ら握ったお寿司が食卓に並び、毎週日曜日は母が入れた紅茶でお気に入りのティーカップとともに10時にお茶の時間、晴れた午後にはゆっくり2時間ほどお散歩。
季節を感じ、暮らしを慈しむ。そんな家庭でもありました。

自分から何かをしたいと言うよりは、存分に与えられたものの中で、楽しむ子ども時代だった、そんな時間をずっと生きていたのかも、しれません。

その一方、嫁姑の不仲不一致、父と祖母の確執などもあり、家族は不和気味で会話は少なめ。
祖母の教育熱心さは、時には子ども心に厳しいものもあり、

「あなたはブスなんだから勉強くらいできないとダメ」
「女でもいい大学に入りなさい」
「100点、一位を取れないでどうするの」

この期待に応えなくてはと、優等生を頑張っていた小中学生時代。
進学校に進むも、「なぜ勉強しなくてはいけないのか」自分の答えを見出すことができず、ここから優等生をドロップアウト。

この頃から両親の不仲が露呈し、父は単身赴任先で恋に落ち、そのまま別居生活へ。

残された家族の生活も嫁姑の不仲さや不穏さに包まれるようになり、家族内ではいつも誰かの機嫌を気にしながら暮らすように。

別居から数年後、父が戻ってきたと思ったら、今度は母が家出。
自ら望んだわけではないのに、家庭に笑顔はなく、寂しさや孤独を感じる日々の中で、「なぜ人は生きるのか」「境遇は選べず、人の幸せはどうしてこうも違うのか」そんな想いが「人を理解したい」という興味になり、大学では心理学を専攻。
カウンセラーになりたいと、人の心、その仕組みや理解の仕方について、さまざまな学びを進めていくことになります。

ところが、「心理学を学びたいと思う人にこそ、心理学が必要」という教授の一言がきっかけとなり、心理系の職に就くことはやめ、仕事は接客業へ。
レストランからホテルまで、さまざまなサービス業を経て、27歳で結婚、専業主婦生活へ突入します。

自分を閉じ込めた主婦時代 

結婚した夫は、不規則な交代勤務の仕事に加えて、社会人ラグビーの選手。
彼なりの生活のリズムやルーティーンがあり、子育てをしながら夫のペースに合わせて暮らす日々。

周りを頼り甘えることができずに、毎日が時間とやるべきこととの戦い。
いつも時計を気にしては、「ちゃんと妻と母をしなくては」と、頑張りすぎては倒れることもしょっちゅう。

「自分のやりたいことをやっていい」「好きなことを自由に選んでいい」そんな選択肢は枠外にあって、「ちゃんとしなきゃ」に追われること10年。

そんな生活の中で始めたのが「書くこと」

子育てのことや心のこと、自然療法やナチュラルクリーニングを取り入れた暮らし。
日々、誰のためでもなく、「わたしが今日を生きたしるし」のように書き始め、それが習慣になり、気づけば18年が経ちました。

2010年からはfacebookにフィールドを移し、ほぼ毎日記事を更新。
次第に文章力を認められるようになり、今のライターへとつながっていきます。

夫がラグビーを引退したのを機に、もう主婦も母もやりきった!!好きなことをして生きてゆきたいと、家庭の枠を飛び出すことを決めて外の世界へ。

右往左往を繰り返した先で

出会った、
「写心」と「書くこと」

35歳からは、もう専業主婦を脱して好きなことをするんだと、色々挑戦するように。

地域活動で年に一度の大きなお祭りを6年連続開催してみたり、アロマテラピーを学んでみたり、コーチングを学んでみたり。

色々やってみるものの、なかなかこれというものに出会えず、最初は楽しくて始めたことも、つい頑張りすぎては体調を崩したり、しんどくなってしまったり、行き先を見失ったり。右往左往をしながら過ごした、35歳からの5年間。

気づけば40歳になり、30代とは違う心身の変化を目の当たりにするように。体力も気力も、ホルモンも。これまでと何かが違う。

これまでなら、無理や我慢もできて突き進めていたことが、できない。「するべきこと」のために注力ばかりしていたら、身も心も、どうしようもなく持たない現実を前に、「今とこれからの私に合った生き方」を選び直す必要性を痛感するように。

でもそれが、どんな生き方でどんな道なのかが、わからない。見えない。

そんな時に出会ったのが、写真。

記念撮影でも、記録の撮影でもない。
その撮影は心を写すから「写心」と呼ばれるもの。

「どんなあなたで生きたら幸せ?」
「どんな私でカメラの前に立ちたいか」を考え迎える撮影日。

そこで改めて考え始めたのは

「母でも、妻でもなく、ただ私として生きる時間を、選んで進んでいいのだとしたら、私はどうしたい?」

ということ。

2018年に初めて出会った撮影から、3年半。
写心を撮ってもらうごとに、自分を見つめ、どうなっていきたいか、どうしたいかを問いかけ、変化を選び続けた3年半。

心のどこかで「主婦だから」「お母さんだから」そう思って、遠慮してきたこと、諦めてきたこと、視野にも選択肢にも入れてこなかったこと。ずっと、誰かや何かを気にして、我慢が当たり前で、表現してこなかったこと。

本当は、それを選びたいなら、選んでもいいし、やっていい。大義名分がなくたって、それが私の心が求めることなら、すればいい。

そんな自分への許可を繰り返した先で、「やっぱり、私がやりたいこと」

それが、書くこと、でした。

あそゆか視点で、

感じたままに、書いて欲しい

2010年からFacebookで投稿を続けた先で、次第に「あそゆかさんの文章は長くても読んでしまう」「すっと心に届いて響く」そう言われるようになり、いつしか「ライターになったら」と言われるように。

プロフィールライティングに一度はチャレンジしたものの、時にやってくる「こういう人に見せたいからこんな風に書いて」という依頼を前に、「自分が感じてないことは書けない」という不器用すぎるほどの馬鹿正直さが仇となり、頓挫、挫折。

やっぱり、Facebookに日記がわりに好きに書いていれば十分。そんなふうに自分に言い聞かせていた時、転機となる依頼がやってきます。

「あそゆかさんの感性と言葉で、私のことを書いて欲しい」

私を丸々信じて託してくれた依頼。

インタビューして、その時感じたことを、ただただ、「私が思うままにしたためた」その文章が、ご依頼者様の感動と感激を得て、「これは絶対仕事になるし、した方がいい!」そうおすすめをいただきます。

これがきっかけとなって生まれたのが、「shutter」

ご依頼者様と対談して、その時感じたことを、盛ることも、繕う事も何一つなく、感じたままに好きに書いてあなたのことを伝えます、というサービス。

2021年1月に告知スタート、これまでに70名を超える方からお申し込みをいただき、インタビューを実施。
現在60名近い方へ、shutter記事をお渡ししました。

なぜか、その記事を読むと、泣いてしまう人が多い。
なぜか、解放された、癒された、自分を認められた、そんな風に言う人が多い。
でも、書いた本人はどうしてそれが起きるのか、実はさっぱりわかっていない。

ただ、感じたことを、「伝えたい、書きたいな」と思ったタイミングで、書いているだけだから。

でも。

こんな風に、ただ感じたことを書いて、手渡すことができて喜んでもらえる、こんな働き方を、書くことに没頭できるライフスタイルを、私は願っていたし、そんな日々を送りたかった。

エッセイも書きたいし、いつか本だって出したい。

誰かのこと、日々のこと。感じたことを、心のままに、思うままに、存分に、表現したい。書けることが、幸せ。

写心とともに、自分の心を見つめながら進んだ先の「本音」は「書いて暮らしていけたら本望」だった。

今、その私の本望は、どんどん、叶いつつあります。

現在では、shutterに限らず、WEBページライティングやストーリーライティングなど、幅広いご依頼をいただくように。

これからは、誰かの専属ライターとしても、お互いの心を交わし合いながら、誰かのことを、あそゆかワールド全開で、感じたままにしたためて伝え広めていきたい。

言葉とともに、生きて死にたい。そんな人生を送りたい。これから、もっと、もっと。

本好きだった優等生の女の子は、あれから45歳になりもっともっと、感じたままに、自由に生きて書いていくことを
そうして、この人生を楽しむことを
今、誰より、自分に期待していたりする。

Writer&interviewer Yuka Aso
Editor yucaco terada
November12,2021

Where do you see yourself in 3 years?

「あなたの3年後の夢は?」

・鎌倉由比ヶ浜の海から徒歩5分のマンションに第二拠点を構え、好きなものに囲まれた暮らしを慈しみながらエッセイストとして生きている
・ラブラドールレトリバーの「小次郎」と 猫の「たま」&大好きなパートナーがそこにいる 
・エッセイストとして連載を持っており、集出版の企画があがり、計画、打ち合わせをしている 


Story #00

あそ ゆか yuka aso
リアルボイス&コアライター

Service
プロフィールから主観的紹介記事、お客様インタビューまでご要望に応じたライティング全般

Recommendation
想いや方向性はしっかり固まっているけれど言語化だけができない人
あそゆかの文章が好きで任せたい人

[好きな本]よしもとばなな キッチン
[座右の銘]なんとかなるしなんとかする
[好きな場所]キッチン
[趣味]書くこと
[出身地]千葉県


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戸塚明日香
Asuka Totsuka
Webデザイナー
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てらだ ゆかこ
yucaco terada
アートディレクター/WEBデザイナー
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あそゆか
aso yuka
リアルボイス&コアライター
[ライター]

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